a:962 t:4 y:3
本日は、雪が降る中、東大阪のパンジーが主催する第三回RDI実践報告会に参加してまいりました。RDI認定インストラクターの白木孝二先生の保護者向け解説はとても分かりやすく(時間は短いので、深い話はしてもらえませんでしたが)、その内容は、毎回聞くたびに新しい発見があり、関心しております。
また、RDIを実践している自閉症児ご両親の苦労~工夫、現在の改善してきている状況を生で聞けるだけでなく、直接質問できたことは、とても貴重な経験でした。
今回のお話のメインは、『経験共有』についてです。
自閉症児の中心症状は、コミュニケーション障害ですが、コミュニケーションを、2種類に分けて考えてみます。
- Instrumental/Imperative Communication
【道具的(指示・命令的)コミュニケーション】 - Experience Sharing/Declarative Communication
【経験の共有(叙述的)コミュニケーション】
道具的(指示・命令的)コミュニケーション
これは、手段達成のためのコミュニケーションです。主にClosed questionなどと言われる質問形式で、あなたの名前は?とか、今日はどこから来たのですか?、この問題の解き方はどうしたら良いのですか?、など、聞き手が知りたいことを一方的に質問したり、答えたりするコミュニケーションで、その共通点は、その内容が聞けるのであれば、話し相手は誰でも構わないという部分です。
他に以下のようなものがあげられています。
- 自分が望む物や情報を手に入れる。
- 特定の反応を得るように、人に影響を与える。
- 関連する場面に対して、脚本家された台詞様の言葉を口に出す。
- 特定の言語的な反応を得るために手がかりを出す。
- 知識をテストする。
- 知識をひけらかす
これは、高機能自閉症に見られます。最近不登校で来院される子供にも良く見られます。狭い趣味やゲームの内容で話が盛り上がるわけですが、盛り上がるのは、その話の内容についてであり、その話し相手がどんなリアクションをしようが、興味なさそうに話していようが、お構いなしで、べつにその話し相手が誰であっても、内容が面白ければそれでよいというコミュニケーションです。
不登校児に良く見られるゲーム友達(ゲームをしないと遊んでもらえないというタイプ)の中には、このような友達関係が見られます。そのゲームで、遊んでくれるのなら、A君であろうが、B君であろうが、かまわないわけです。
ただ単に技術系の仕事においては、このコミュニケーション法だけで十分事足りる場合が多いとは思います。
経験の共有(叙述的)コミュニケーション
これは、他の人との間でそれぞれの経験を共有するためのコミュニケーションで、お互いの感情、行動や意図、記憶、予測、計画、アイデア、視点、思考などを分かち合い、交換することを目的としたプロセスで、経験を共有する事自体を目的とするコミュニケーションです。
深い友達関係~友情を作るために不可欠なコミュニケーションです。
他に以下のようなものがあげられています。
- 感情的反応を共有する。
- 属性を比較してり、対比させたりする。
- 一緒に思い出を語る。
- 将来の経験の計画を立てる。
- 感情的つながりを確認する。
- 協調(作業)を増強する。
- 誤解を修正する。
たとえば、こんな会話です。
(I:道具的、E:経験共有的コミュニケーション)
I:「今日はどこからいらしたんですか?」
I:「和歌山からです」
I:「どうやって来たのですか?」
I:「電車で来ました」
E:「寒いのに遠くから大変でしたね、迷いませんでしたか?」
E:「迷いましたよ。歩きすぎて、足に豆ができて潰れて、痛くて痛くて」
E:「まあ、可哀そう」
つまり、自閉症児に必要なのは、経験共有的体験であるという事で、今現在、自閉症児と遊んでいる親や療育者が、この「経験共有」がうまく出来ているか?をテストする方法について、教えていただきました。
- まず、療育者が、児と経験共有と思われる方法で遊んでもらいます。
- 児が楽しんでいるか観察します。
- 療育者も楽しんでいるか観察します。
- 次に療育者に「つまらなさそうな態度で」遊んでもらいます。
- 最後に、その状態で、児の表情と行動を観察します。
もし、児が楽しそうに遊んでいたら、その遊びは「経験共有ではない遊び」という事になります。
これは、ディズニーランドなどの、子供が熱狂するような場所に連れて行ってもらった子供の反応でたまに見られるのですが、子供が『お父さんに連れて行ってもらったという記憶がない』という奴です。(お母さんとの記憶はあるという)
別にディズニーランドに行けるのなら、誰でも良かったのかもしれないし、父親とはそういった関わりが出来ていなかったのかもしれません。
日本小児科医会とスマホ論争
さて、話が変わりまして、小児科のMLでスマホ否定派と肯定派の論争があります。事の発端はこのポスターです。
否定派の意見
『スマホのような視覚と聴覚と(誤った)触覚だけで成り立つおもちゃは、おもちゃとしてあり得ない物体だ』
肯定派の意見
『不登校児のように、引きこもり状態では、スマホが唯一のコミュニケーション手段となっている、それを取り上げるのはいかがなものか』
たぶん、論じている時相が違うんだと思います。否定派は、コミュニケーション障害や概日リズム障害を起こさないように、小児期早期からできる限り辞めさせておけ、一度中毒になったら辞められないぞというつもりであるのに対し、肯定派は、すでに、コミュニケーション障害、スマホ中毒になってしまっている人を対象に論じています。
この論争、自分としては、本日のRDIの話を聞いて、なんとなく決着がついたように感じました。
経験共有の手段として本当に使えている(趣味が同じ相手なら誰でもよいという関係でない)のなら、それほど、悪くないのかもしれませんね。(使う時間帯は朝がベストですが!)
コメント