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起立性調節障害を治療しているのに、なぜ学校へ戻れないのでしょうか

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連休になりました。診断書、意見書作成に今日も追われています。(院長のこだわりで、学校に提出する意見書は50ページに及ぶ事があります。でも、本当に1人の子どもの全てを説明しようとすると、そうなってしまうんです。学校の先生によっては、引かれてしまう事がありますw)

今日はまた、いっつも考えている事をだらだらと書いてみたいと思います。

不登校の陰に隠れている「社交不安」を見逃さないために

「朝、起きられない」
「立ちくらみがする」
「頭が痛い」
「気分が悪い」
「午前中は身体が動かない」

このような症状から「起立性調節障害」と診断され、学校へ行けなくなっている子どもは少なくありません。

起立性調節障害は、思春期の子どもにみられる疾患です。

実際に、起立性調節障害がきっかけとなって学校へ行けなくなる子どももいます。

しかし、起立性調節障害として何か月も治療を受けているのに、なかなか学校へ戻れない子どもを診ていると、私は一つのことを考えます。

「最初に学校を休んだ理由と、今も学校へ行けない理由は、本当に同じなのだろうか?」

長期化した不登校を考えるとき、これはとても大切な視点です。

目次

「起立性調節障害か、心の問題か」という二択ではありません

最初に強調しておきたいことがあります。

「起立性調節障害と診断されていたけれど、本当は心の問題だった」

という話ではありません。

実際の診療では、起立性調節障害と社交不安などが同時に存在している子どもは少なくありません。

最初は起立性調節障害による身体症状が中心だった。

しかし、学校を休んでいるうちに社交不安が強くなった。

反対に、もともと社交不安が強かった子どもに、思春期になって起立性調節障害が重なることもあります。

そして不登校が長期化すると、どちらが最初だったのかということ以上に、

身体の問題と心の問題がお互いに影響し合い、不登校を維持する悪循環ができていないか

を見ることが重要になってきます。

社交不安があっても、何とか学校へ通っている子どもがいます

社交不安があるからといって、最初から学校へ行けないわけではありません。

人から見られるのが苦手。

授業中に当てられると非常に緊張する。

発表するのが嫌だ。

失敗して笑われることを極端に気にする。

休み時間に誰と話したらよいのかわからない。

友達から自分がどう思われているのか、いつも気になる。

そうした不安を抱えながらも、何とか毎日学校へ通っている子どもがいます。毎朝起きて、着替えて、いつもの時間に家を出て、いつもの教室へ入る。毎日それを繰り返している間は、何とかできている。ところが、何らかのきっかけでこの連続性が途切れることがあります。

学校の先生方がよく知っている「長期休暇明けの不登校」

学校の先生方、特に小学校の先生方の多くは、経験的によくご存じだと思います。

夏休み、冬休み、春休みなどの長期休暇が終わったあと、それまで登校していた子どもが学校へ来られなくなることがあります。

感染症などで1~2週間学校を休んだあとに、同じようなことが起こる場合もあります。

もちろん、その理由は一つではありません。

しかし、その背景の一つとして考えてほしいのが社交不安です。

毎日学校へ行っていたときには、何とか教室へ入れていた。

ところが数週間学校から離れると、休み明けには、もう一度、

「学校へ行く」

「校門を通る」

「教室へ入る」

「友達に会う」

「先生に会う」

ということを始め直さなければなりません。

社交不安の少ない子どもには何でもない「新学期の初日」が、社交不安の強い子どもには、とても高いハードルになることがあります。

1日休むと、翌日はもっと行きにくくなる

休み明けの初日、不安が強くて学校を休んだとします。

その日は少し楽になります。

学校へ行かなくてもよくなったからです。

ところが翌朝になると、

「昨日休んだけど、今日は何て言われるだろう」

という新しい不安が加わります。

そして、もう1日休む。

すると、

「2日も休んでしまった」

になります。

さらに休めば、

「今さら教室に入ったら、みんなに見られる」

「どうして休んでいたの、と聞かれる」

という不安まで加わります。

つまり、

学校を休む

その日の不安は軽くなる

しかし学校へ戻ることへの不安は大きくなる

翌日も休む

さらに戻りにくくなる

という悪循環が起こることがあります。

これは「休ませてはいけない」という意味ではありません。

体調の悪い子どもを無理やり登校させることが治療ではありません。

しかし一方で、休んでいれば自然に不安がなくなるとも限らないのです。

思春期は「不安」と「起立性調節障害」が重なりやすい時期です

ここでもう一つ、とても重要なことがあります。

不安や恐怖に関連する精神疾患は、大人になって突然始まるものばかりではありません。

McGrathらが29か国の疫学調査を統合した2023年の研究では、anxiety and fear-related disorders(不安・恐怖関連症群)の発症年齢分布に、5.5歳と15.5歳付近の山が示されています。

McGrath et al., The Lancet Psychiatry, 2023

つまり小児期だけでなく、15歳前後の思春期も、不安・恐怖に関連する問題が表面化する重要な時期なのです。

そして、この思春期は身体が大きく成長する時期であり、起立性調節障害が問題になりやすい年代でもあります。

この二つが重なることが重要です。

起立性調節障害と社交不安の悪循環

たとえば、次のような子どもを考えてみてください。

思春期になり、社交不安が強くなっている

それでも何とか学校へ通っている

思春期の身体発育の時期に、起立性調節障害が出現・増悪する

朝起きにくくなり、立ちくらみや倦怠感が出る

学校を休む

欠席が長期化する

人と接する機会が減る

学校へ戻ることへの社交不安がさらに強くなる

家で過ごす時間が増え、横になっている時間も増える

身体活動が低下し、生活リズムも崩れる

起立性調節障害も改善しにくくなる

さらに朝起きにくくなる

さらに学校から遠ざかる

このように、起立性調節障害と社交不安は別々に存在するだけではありません。

お互いがお互いを悪化させながら、不登校を長期化させることがあります。

そして、この悪循環に入るきっかけが、夏休みなどの長期休暇であることもあれば、感染症などによる欠席であることもあります。

最初の症状は、本当に起立性調節障害だったのかもしれません

ここは非常に大切です。

最初に、

「朝起きられない」

「立ち上がると気分が悪い」

「頭痛がする」

「立ちくらみがする」

という症状があった。

それは本当に起立性調節障害や起立性低血圧によるものだったのかもしれません。

ですから、

「起立性調節障害という診断が間違っていた」

と考える必要はありません。

問題は、そのあとです。

起立性調節障害のために学校を休み始め、欠席が1週間、1か月、数か月と続く。

その間に社交不安が強くなっていく。

すると、

最初に学校へ行けなくなった理由と、現在も学校へ行けない理由が変わっている

ことがあります。

血圧を上げても、学校へ戻れないことがあります

起立性調節障害があれば、もちろん必要な治療を行います。

水分や塩分、睡眠、身体活動などについて生活指導を行い、必要に応じて薬物療法も行います。

治療によって、

朝の血圧が改善した。

立ちくらみが減った。

朝も以前より起きられるようになった。

それでも学校には戻れない。

これは決して不思議なことではありません。

血圧を改善する治療を行っても、それだけで社交不安が治療されるわけではないからです。

「血圧が低い」ということと、

「血圧が低いから、現在も学校へ行けない」

ということは、必ずしも同じではありません。

「たまに学校へ行ける」ことが、必ずしも回復を意味するとは限りません

ここは、特に注意してほしいところです。

起立性調節障害の治療によって身体症状が少し改善すると、

「今日は行けそう」

と、久しぶりに学校へ行ける日が出てくることがあります。

ご家族にとっても医療者にとっても、

「薬が効いてきた」

「これから少しずつ学校へ戻れるだろう」

と思える瞬間です。

ところが、社交不安が強くなっている子どもでは、その登校が非常につらい体験になっていることがあります。

久しぶりに教室へ入る。

みんなに見られる。

友達から声をかけられる。

「どうして休んでいたの?」と聞かれるかもしれない。

授業中も、自分が周囲からどう見られているかが気になる。

本人は強い緊張の中で、何とか一日を過ごして帰宅します。

そして翌朝、

「昨日と同じことを、今日もやらなければならない」

という強い予期不安が生じます。

その結果、

起立性調節障害を治療する

身体症状が少し改善する

体調の良い日に、何とか学校へ行ける

久しぶりの登校で強い社交不安を経験する

翌日の予期不安がさらに強くなる

翌日は、もっと学校へ行きにくくなる

再び家庭内で過ごす日が続く

人と接する機会がさらに減る

社交不安がさらに強くなる

次に登校するための心理的ハードルが、ますます高くなる

という、もう一つの悪循環が起こることがあります。

ですから、

「昨日は学校へ行けたのだから、今日も行けるはず」

とは限りません。

むしろ大切なのは、

「昨日学校へ行ったとき、この子はどれくらい不安だったのだろう?」

と考えることです。

でも本人は「学校が怖い」とは言いません

ここが、社交不安を見つけるうえで非常に難しいところです。

本人が「学校が怖い」と自覚しているとは限りません。

診察室で、

「学校が怖いの?」

と尋ねても、

「別に怖くない」

「わからない」

「普通」

「行きたくないわけじゃない」

と答える子どもがいます。

だからといって、社交不安がないとは限りません。

本人自身が、自分の中にある不安を「不安」として認識できていないことがあるからです。

不安を「怖い」と感じるのではなく、身体感覚で感じている子どもがいます

自分の感情を認識したり、それを言葉にしたりすることが苦手な子どもがいます。

これは、感情の認識や言語化が難しいという意味では、失感情症(アレキシサイミア)に近い側面を持つ場合もあります。

そのような子どもでは、不安が、

「怖い」

「緊張する」

という言葉にならず、

「しんどい」

「頭が痛い」

「お腹が痛い」

「吐き気がする」

「朝起きられない」

「身体が動かない」

「なんとなく行けない」

という身体症状や行動として現れることがあります。

本人にとっては、本当に「学校が怖い」という感覚ではないのです。

だから、

「学校は怖くない、と本人が言っているから社交不安ではない」

とは判断できません。

「学校が怖い?」と聞くだけでは、社交不安は見つからない

そこで、私は「学校が怖い?」という質問だけではなく、もう少し具体的に尋ねます。

「もし明日、学校に誰もいなくて、先生にも友達にも会わず、一人で教室へ行くだけなら行けそう?」

「放課後なら行ける?」

「教室ではなく別室ならどう?」

「仲の良い友達一人だけなら会える?」

「学校へ行く日の朝と、休みの日の朝では体調は違う?」

こうして具体的な状況に分けて尋ねると、

「誰もいないなら行ける」

「別室なら大丈夫」

「先生だけなら大丈夫」

「友達に会うのは嫌」

「何か聞かれるのが嫌」

と答える子どもがいます。

ここで初めて、身体症状の陰に隠れていた不安が見えてくることがあります。

「学校」という建物が怖いわけではありません

社交不安のある子どもが恐れているのは、最初は「学校」という建物そのものではありません。

怖いのは、

教室へ入った瞬間にみんなから見られること。

久しぶりに会った友達から声をかけられること。

休んでいた理由を聞かれること。

授業中に先生から当てられること。

失敗すること。

自分が周囲からどう思われているのかわからないこと。

なのかもしれません。

しかも本人は、それらをまとめて「社交不安」と認識しているわけではありません。

だから、

「学校が怖い?」「学校が嫌?」

と聞かれても、

「別に怖くない」「いやじゃない」「むしろ学校に行かなければならない」「学校に行きたいんだ」

と答えるのです。(”怖い”という形容詞は、子供にとって、”目に見える危害を自分に加える物”と言う認識に対して最初に学んでいる事が多く、自分に対して襲ってくる事がない対象に対して”怖い”という認識はしません。)

「学校が怖いですか?」と尋ねるだけでは、社交不安は見つからないことがあります。


では、学校へ行かせない方がよいのでしょうか?

そういう意味でもありません。

不安症では、不安を感じる場面をいつまでも避け続けることによって、不安がさらに強くなることがあります。

一方で、非常に強い不安に耐えながら、いきなり一日中教室で過ごさせればよいというものでもありません。

強い不安を我慢して一日登校することと、治療として計画された段階的な経験とは違います。

たとえば、

放課後に学校へ行く。

人の少ない時間に先生と会う。

別室で短時間過ごす。

好きな授業だけ参加する。

少人数の場面から始める。

など、本人が何を不安に感じているのかを評価したうえで、その子が取り組める段階を考えていきます。

必要に応じて心理療法や薬物療法を組み合わせ、学校とも連携していきます。


起立性調節障害と社交不安、両方を治療すればよいのです

起立性調節障害があるのであれば、起立性調節障害を治療します。

社交不安もあるのであれば、社交不安も治療します。

どちらか一方を選ぶ必要はありません。

大切なのは、

「起立性調節障害」という診断がついたところで、不登校について考えることを止めないことです。

起立性調節障害として治療しているのに、

何か月たっても学校へ戻れない。

血圧は改善しているのに登校できない。

たまには登校できるのに、その翌日からまた何日も行けなくなる。

休日は比較的元気なのに、登校日の朝になると身体症状が強くなる。

そんなときには、

「現在、この子を学校から遠ざけている一番大きな要因は何だろう?」

と、もう一度考えてみてください。


最初に学校を休んだ理由と、今も休んでいる理由は同じとは限りません

最初は、本当に起立性調節障害だったのかもしれません。

朝起きられなかった。

立ちくらみがした。

だから学校を休んだ。

しかし、その間に社交不安が強くなった。

人と会わなくなった。

家庭内で過ごす時間が増えた。

身体活動が減った。

生活リズムも崩れた。

起立性調節障害も改善しにくくなった。

たまに体調の良い日に登校すると、今度は強い社交不安を経験する。

翌日はもっと学校へ行きにくくなる。

こうして身体と心の問題が複雑に絡み合って、不登校を長期化させていることがあります。

だからこそ、

「起立性調節障害か、社交不安か」

と考える必要はありません。

両方あるかもしれない。

そして、時間の経過とともに、不登校を維持している主な要因が変化しているかもしれない。

その視点が大切です。

起立性調節障害の治療を続けても再登校につながらないとき。

本人は「学校は怖くない」と言っているのに、なぜか学校へ行けないとき。

その身体症状の陰に、本人自身もまだ気づいていない不安が隠れていないでしょうか。

身体を診ながら、心も診る。

診断名だけではなく、その時点でその子を最も苦しめているものを探す。

そして必要であれば、適切な子どもの心の診療につなげる。

それが、長期化した不登校の悪循環を断ち切るための、大切な一歩になると考えています。

この子が社交不安になったのはどうしてなんでしょうか?

では、そもそも、なぜ子どもはこれほど人の目を気にするようになったのでしょうか。

社交不安にはさまざまな要因があり、一つの原因だけで説明することはできません。

ただ、子どもたちを長く診ていると、私はその背景に、生得的な不安症体質自閉スペクトラム症などの発達特性や、学習上の困難を持つ子どもが、それまでの学校生活の中で積み重ねてきた経験が関係していることが少なくないと感じています。

「自分だけ違う」という経験が積み重なっていく

自閉スペクトラム症のある子どもは、相手の意図を読み取ったり、その場に合わせて振る舞ったりすることが苦手な場合があります。

本人には悪気がないのに、

「空気が読めない」

「変わっている」

「なんでそんなことを言うの?」

と言われる。

みんなが笑っている理由が自分だけ分からない。

一生懸命話したのに、相手から妙な顔をされる。

友達に入れてもらおうとして、うまくいかない。

先生から注意されても、なぜ自分が注意されたのか十分には理解できない。

こうした経験が一度だけではなく、何年にもわたって積み重なることがあります。

さらに、からかわれたり、仲間外れにされたり、「変な子」と見られたりする経験が加わることもあります。

こうした、周囲から否定的に見られたり扱われたりする経験には、社会的スティグマという側面があります。

すると子どもの中に、

「また何か間違えるかもしれない」

「自分が何かすると、みんなに変だと思われるかもしれない」

という警戒心が少しずつ形成されていきます。

それが積み重なると、人の中にいること自体が非常に疲れるようになります。

自閉スペクトラム症が「軽い」から、対人関係の負担も軽いとは限りません

ここで注意してほしいことがあります。

自閉スペクトラム症の特性が一見軽いからといって、学校生活で受ける心理的な負担まで軽いとは限りません。

社会的な場面でのわずかな読み違いであっても、それが毎日、何年も繰り返されれば、本人には大きな負担になります。

たとえば、友達の表情を見て、

「今の言い方、怒っていたのかな」

「さっきの話、僕のことだったのかな」

「こんなことを言ったら、変な人だと思われるかもしれない」

「これをしたら、嫌われるかもしれない」

「昨日のあの返事、まずかったのかな」

と考え続ける子どもがいます。

周囲の大人から見ると、

「そんなこと、誰も気にしていないよ」

と思うようなことまで、本人は何度も考えています。

これは単純に「人の気持ちが分からない」ということとは少し違います。

むしろ、

相手の気持ちをある程度は推測できる。
しかし、その推測が本当に正しいのか確信が持てない。

そのため、

「こう思われたかもしれない」

「いや、違うかもしれない」

「でも、やっぱり嫌われたかもしれない」

と、相手の気持ちを何通りも推測し続けてしまいます。

私は臨床上、こうした**「気持ちを読めそうで、正確には読み切れない」タイプの自閉スペクトラム症の子ども**が、対人関係について非常に多くの心理的エネルギーを使っていることがあります。

学校では、友達の表情、声の調子、言葉の裏の意味、冗談、その場の雰囲気などを次々に判断しなければなりません。

一つ一つの読み違いは、ごく小さなものかもしれません。

しかし、それが毎日続けば、

「人と一緒にいると、いつ何を間違えるか分からない」

という感覚につながっていくことがあります。

そして次第に、

「間違ったことを言わないようにしよう」
「変に思われないようにしよう」
「嫌われないようにしよう」

と、常に自分を監視するようになります。

こうした過剰な自己監視や、「相手からどう評価されるだろう」という予測が強くなると、社交不安につながっていきます。

「軽い自閉症=困りごとも軽い」ではありません

そのため、自閉スペクトラム症について「重い」「軽い」という言葉だけで、本人が受けている心理的負担を判断することはできません。

一見すると普通に会話ができる。

友達もいる。

授業にも参加できる。

学校にも通えている。

それでも本人の頭の中では、毎日、

「今の返事でよかった?」
「変に思われていない?」
「嫌われていない?」
「明日、何か言われない?」

という確認作業が延々と続いているかもしれません。

外からは「普通に学校生活を送れている」ように見えていても、本人は毎日かなりの心理的負担を払いながら、その生活を維持していることがあります。

だからこそ、その均衡が起立性調節障害や長期休暇、病気による欠席などをきっかけに一度崩れると、学校へ戻ることが急に難しくなる場合があります。

これは、

「自閉スペクトラム症が重くなったから学校へ行けなくなった」

ということではありません。

それまで何とか耐えていた対人関係上の負担が、欠席をきっかけに社交不安として表面化した、と考えた方が理解しやすい子どももいます。

学習障害でも同じことが起こります

学習障害のある子どもにも、似たことが起こります。

音読をすると、自分だけ何度もつっかえる。

漢字を書けば間違える。

計算に時間がかかる。

黒板を写し終わらない。

みんなの前で答えを求められても、すぐには答えられない。

周囲の子どもには簡単にできていることが、自分にはできない。

しかも、本人の努力不足と受け取られてしまうことがあります。

そうした経験を何年も繰り返せば、

「当てられたくない」

「音読したくない」

「間違えるところを見られたくない」

「自分のできないことを知られたくない」

と思うようになっても不思議ではありません。

やがて、「失敗すること」だけではなく、「失敗するかもしれない状況にいること」そのものが怖くなっていきます。

これも社交不安につながる一つの経路だと考えています。

ある日突然、「学校が怖くなった」わけではないことがあります

こうした子どもたちは、ある日突然、理由もなく学校へ行けなくなったわけではないことがあります。

小学校、中学校と、

うまく人と関われなかった経験。
誤解された経験。
注意された経験。
笑われた経験。
勉強で失敗した経験。
人前で恥ずかしい思いをした経験。

そうした小さな経験が長い時間をかけて積み重なっています。

それでも、何とか学校へ通っていた。

そこに、夏休みなどの長期休暇や病気による欠席、あるいは思春期の起立性調節障害が重なる。

学校から一度離れる。

そして、再び学校へ戻ろうとしたとき、それまで何とか抑えていた不安が一気に表面化することがあります。

だから私は、起立性調節障害をきっかけに不登校になった子どもを診るとき、

「この子は学校を休む前から、学校でずっと無理をしていなかっただろうか?」

ということも考えるようにしています。

それでも本人は「怖かった」とは言わないことがあります

そして、ここが前の話につながります。

このような経験を何年も積み重ねていても、本人が、

「僕は人からどう思われるかが怖い」

「学校で失敗するのが不安だ」

と説明してくれるとは限りません。

本人自身にも、自分の感情がよく分かっていないことがあります。

ただ、

「学校に行くと疲れる」

「朝になると身体が動かない」

「お腹が痛い」

「なんとなく行けない」

と訴える。

長年積み重なった社交不安が、「怖い」という言葉ではなく身体症状として現れている可能性も考える必要があります。

だからこそ、「学校が怖いですか?」と尋ねて「怖くない」と答えたことだけで、社交不安を否定することはできないのです。


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